敬神生活の綱領

 神道は天地悠久の大道にあって、崇高なる精神を培(つちか)ひ、太平を開く基(もとい)である。
神慮
(しんりょ)を畏(かしこ)み祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
 ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以って大道を宣揚
(せんよう)することを期する。

一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明(あか)き清きまことを以って祭祀(さいし)にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心(おおみこころ)をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌
(りゅうしょう)と世界の共存共栄と祈ること

鳥 居

 鳥居(とりい)は昔から神社の門の一種として用いられ、神聖なご神域を表示するものでした。鳥居があれば神社があり、お寺と神社を区別する最も簡単な見分け方ともなっています。鳥居の起源は、「通り入り」や「鷄栖(鷄のやどり木)」から起こった言葉とされ、古くは塀の間に設けた門柱が、しだいに様式化されたものと言われていますが、その名称、形式には諸説があります。鳥居が神社の参道や境内の入口・玉垣(たまがき)・透塀(すきべい)の入口など、要所要所に立てられているのは、神域の関門として、この中が神聖でケガレのないところを表わすためで、私たちは鳥居をくぐるとき、神さまへのご挨拶の意味で、会釈をしてくぐることが大切なのです。




〜あきさま〜
 諏訪神社を宮下界隈では「あきさま」または「すわさま」と呼んでいる。何故「あきさま」と呼ばれているか?というと、江戸時代末期安政年間、宮司が鈴木安芸守(すずきあきのかみ)と名乗っていた。本来は宮司のことを「あきさま」と呼んでいたようだが、いつのまにか神社の呼び名になったようだ。しかし近年、神社を「あきさま」と呼ぶ人はめっきり少なくなった。





手水舎(てみずしゃ)

 神社には手水舎といって、参拝者がお参りする前に、手を洗い、口をすすぐところがあります。神前に出るので、身も心もすっかり洗い清めるためのもので、昔の人の、清らかさを最も尊んだ生活態度が現われています。



諏訪神社社殿前に安置されている
一対の狛犬

昭和五年(1930)四月一日 第三十三代宮司鈴木克哉
をはじめとする氏子有志が厄除記念に奉納される。
  作者 彫刻師 石城郡小名濱町 馬目賢次 馬目文吉 両氏

狛犬は悪霊を防ぎ、けがれを除いて、神殿・神域を守り、神さまにお仕えする
霊獣(れいじゅう)として、昔から神前に置かれて来ました。
狛犬は、もともとペルシャやインドに起源を発するといわれていますが、
日本では当時伝来した朝鮮のことを高麗(こま)といったので、
コマ犬といわれるようになりました。狛犬は、今では左右一対とされ、一方は口を開き、
他方は口を閉じているものが多く見られます。
これは阿吽(あうん)といって、ともに力のこもった姿勢をあらわしています。



参拝の作法

 各家庭の神棚を拝む時も同じですが、神さまにお参りする時は、
いつの場合でも「二礼二拍手一礼」と覚えておけば良いでしょう。

 まず姿勢を正しくして、二度おじぎをし(このとき、両手のひらは自分のひざ頭を
包むまで深く頭を下げます)、次に拍手を二つ打ちます(まず胸の高さに両手を合わせて、
右手を少し下にずらした後、拍手を二つ打つ)。

 拍手は両手の指を揃えて打ち合わせるので、一般には、「かしわでを打つ」などといいます。
神前で打つ拍手は、真剣な気持ちで、神さまのお蔭を心から感謝して打つものです。
拍手を打ったら、心の中で神さまにお願い事をしたり、お礼を申し上げたりします。

 次に合わせた両手を下げて、もう一度、最初の二礼と同様に深くおじぎをして終わります。

 神社にお参りする時は、何事もなく、楽しい毎日が送られますように、
との気持ちを込めてお祈り致します。






Copyright(C) 2003 Yotsukura Suwajinja All Rights Reserved.